Arigatou of Nobuyoshi Asai Butoh Works



Nobuyoshi Asai Butoh Works

HOME > Arigatou

LinkIconCosplay 2012
LinkIconSmile connect in OKINAWA 2010
LinkIconJenseits des Lustprinzips2010
LinkIcon[individual sentiments 2010-2011 A/W]&[individual sentiments 2011 S/S]
LinkIconArigatou Project 2009 [kojyu-sei]
LinkIconArigatou Project2009[Portrait]
LinkIconARIGATOU2009 | Nobuyoshi Asai/Kenta Arai + TENKI Dream of The Tides photographic installation
LinkIconArigatou Project2009[A-RUMA]
LinkIconArigtou Project 2008 [Dream of The Tides]


自然のありのままの姿を見て私たちはその美しさにため息をもらし、無限とも思える静寂の世界に心奪われる。そしてその美しさを作品として表現しようと試みるとき、そこには多くの壁が存在することに気づく。
それは自然に対する自分の意識や感覚と、他者の意識や感覚との差異であり、また、生物が本能的に感じる死の恐怖を輪廻というかたちで表現する難しさであるだろう。しかしながら死の恐怖をも取り込む輪廻のなかにこそ人間が潜在意識の中で感じている未知の世界があり、永遠のテーマがある。それらを形にすることが私たち表現者の課題であり、生涯をかけて表現するべき自然の本質なのだろう。
人は大いなる自然に対して敬意を持ち、観察し、取り込み、そこから多くを学んだ時にこそ、初めてその一部になることができ、そしてその壮大なる時間軸を肌で感じることができる。
自然の風景を極限まで省略した要素で構成した枯山水。人工的に造られたこの自然には、ある特殊な「美」が偶発的に発生している。枯山水を造る庭師は、訪れる客が「これはすばらしい石だ」と目をひくような「安易な美しさ」をあえて空間から取り去り、そぎ落とされた一見殺風景とも思える世界を作る。この簡略化された究極のミニマリズムの中には計算と偶発が共存し、個々の中にのみ存在するもう一つの時間軸を作り出している。少ない情報量のなかで五感を最大限に研ぎすましてこそ、初めて見えてくる美しさ。スキのない様式美をあえて壊し不完全な状態にしたときにこそ、それらはいちだんと崇高さを増し、見る側の想像力を借りて初めて完全な作品として生まれ変わる。個々それぞれに違う想像力を計算的に、またある意味偶発的に利用する侘びの美とは、自然そのものと対峙し続けたものにしか見えない境地であり、また同時に自己とも対峙し続けなければ見えない境地である。どちらも自らが自然を取り込み、自然の一部にならない限り生まれない作品であり、究極のネイチャーアートといえる。

arai-art photo.2.jpg

arai-art photo.7.jpgarai-art photo1.jpgarai-art photo.9.jpgarai-art photo.11.jpgarai-art photo.17.jpgarai-art photo.18.jpgarai-art photo.14.jpgarai-art photo.13.jpgarai-art photo.4.jpgarai-art photo.5.jpgarai-art photo.16.jpgarai-art photo.3.jpgarai-art photo.6.jpgarai-art photo.12.jpgarai-art photo.8.jpgarai-art photo.10.jpg

Arigtou Project 2008 [Dream of The Tides]